今日の法語(気付かされたこと)

すでにこの道あり。必ず度すべし(二河白道の比喩)

 

わたしたちは、どこから来てどこに向かいどこに行くのか。

 

生まれてきたのは、お父さんとお母さんからいただいたご縁ですが、

 

その身を生きるのはわたし ”一人” だ。誰に代わってもらうこともできない。

 

世の中には、たくさんの情報があふれている。

 

ウェブの中には様々な日常の生活に役の立つ情報から

 

専門分野ではいままでわからなかったことが、

 

きめ細かく最先端の方法で解き明かされている。しかし、

 

世の中が、どんなに便利になっても、どんなに科学技術が発展しても、

 

知らないことはたったひとつだけある。

 

それは自分自身の生きる道だ。

 

 

平野修さんが、「親鸞からのメッセージ」でこのように仰ている。

 

登山口が、どんなにたくさんあったとしても登っていく道はただ一つです」と。

 

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わたしたちは、ゴールを様々な場面において設定するが、どんな

 

道を選んだとしてもわたしたちが歩む道は、ただ一人の私が

 

歩むのです。そのゴールに向かうための方法はたくさんあり、

 

その道もたくさんあるが、わたしに合う方法は一つしかないし、

 

わたしが歩める道もひとつしかない。他とくらべることの

 

できない自分だけのゴールに向かっています。

 

 

24b1294c20[1].jpg ひとりの行者が阿弥陀様がおられる浄土

 

 を目指した。しかし、目の前には火の川

 

 水の川が横たわる。後ろからはいのちを

 

 奪おうとしている群賊悪獣が迫ってい

 

 る。行者はおののきとまどい迷ったあ

 

 げく、「我今かえらばまた死せん、とど

 

   

 まらばまた死せん、ゆかばまた死せん

 

 一種として死を免れざれば、我やす

 

  この道を尋ねて前に向こうてゆかん。

 

  すでにこの道あり、必ず度すべし」と。

 

  行者は、すでに歩んでる道を発見し、

 

  この道はわたしだけの道と覚悟するのです。

 

  すると突然、東の岸からお釈迦さまの

 

  進める声が聞こえます

 

  「きみたた決定(けつじょう)してこの道を尋ねて行け。

 

かならず死の難なけん。もしとどまれば、すなわち死せん」

 

また、西の岸から阿弥陀様が呼びかける

 

「汝一心に正念にして直ちに来たれ!われよく汝を護らん。

 

すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。

 

行者は、こちらの東岸から御釈迦様に励まされ、あちらの西岸からは

 

阿弥陀様に見守られ、群賊悪獣の甘い囁きも顧みずとうとう西の岸に

 

渡られるのです。

 

 

 わたしたちは、すでにわたしだけの道があるにもかかわらず、あの時ああすれば

 

よかった、こうすれば良かったといって常に自分の道を見失っているように思います。

 

しかし、どこに行っても何をしても死ぬ身を生きているのは私たちの身です。

 

だとすれば、わたしたちは、すでに歩んでいる道を行くしかないように思います。

 

しかし、ひとりではありません。こちらからは、群賊悪獣を含めて叱咤激励してくれる

 

諸仏が励ましてくれます。あちらからは、阿弥陀様が私たちをひとり子のように一心に

 

呼びかけ護ってくれています。

 

 

さあ、 みなさんゆきましょう! わたしだけにいただいた道をともに!